ILCアドバンスコースの一環で易の授業が関谷先生によって持たれました。とても楽しい講座で、全く新しく出会った人も何とか出来るかなと思って帰りました。易は中国の知恵が詰まっていますし、実際的です。ハレビさんも習熟していました。いつも筮竹にあたるものを持って歩いていて、必要な時に天に尋ねています。高野山に最初にお連れした時、麓で高野山を占い、見事に当てていました。この後、秋には、私たちもILCで、毎回占って練習します。楽しみです。
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久しぶり マチス展
コロナが蔓延してから、全然展覧会などには行っていませんでした。久しぶりに楽しくて明るいマチスの絵を友達と見に行きました。マチスも若い時には暗い伝統的な絵も描いているのですね。あの明るい楽しい色使いと、大胆な構図はマチスが円熟して生まれたのですね。解放された無垢なのだと分かりました。人間が成長してたどり着く境地なのだと分かってうれしくなりました。成長することのすばらしさに触れて楽しく帰りました。昼食は都美術会館のレストランで食べました。窓から全面木々の緑が美しくとても素敵なレストランでした。ところがそこにスマホを忘れて、池袋からまた戻って取りに行きました。そこでエレベターで知りあった人とカフェで冷たいものを飲んで帰りました。久しぶりに文化人になりました。
やっと我が家のムクゲが咲きました。シャロンのバラと英語では言うそうです。ソロモン先生からおそわりました。そしてシャロンのバラとは、またイエス・キリストのことでもあるそうです。このムクゲは韓国の国花でもあり無窮花(むきゅうか)と呼ばれます。夏中次々咲き続けるから無窮の花と呼ばれるのです。私が聞いている名前はハチスです。スマホで聞いたら日本では木ハチスと呼ぶとも書いてありました。
古代出雲を訪ねて
2日目は出雲に宿を取れず、石見の温泉津(ゆのつ)に泊まりました。そこに行く途中に石見銀山を見学し、多分40度になっている時に、古い美しい町並みを歩きました。そこの神社で祀られている神はクナトの神のパートナーの姫神でした。この後、徐福が上陸したという五十猛の海岸と駅を通りました。五十猛の海は美しかったです。徐福と一緒に来た人々はここで何を願ってきたのでしょう。生き残りをかけて必死だったのでしょうか。その後温泉津について泊まった宿は高かったのですが、なんと4部屋もあって、リビング、ダイニング、ベッドルーム、化粧室ありでした。食事は日本食フルコース。割安でした。そしてその日は土曜日だったので、近くの神社で岩見神楽の上演があって、見ることができました。もう予約は一杯でしたが、なんとかキャンセル待ちを受け入れていただいて大感激。ソンヒは「竜神」という新作神楽と、「だいこく」と「おろち」という演目でした。見物人の子供をさらったり、サーヴィス旺盛でとても楽しみました。
三日目は電車で松江に出て、熊野神社に行きました。雲が出ていて、大山は遥拝できませんでしたが、火の神事をする社は本当に古くて神さびていました。この日も暑く、帰り支度をしました。
帰りの特急は中国山脈を越える時、放送があって、ここが分水嶺になりますと教えてくれました。とてもうれしかったです。台風が近づいているというので、あちこちで雨が降っていました。少し暑さが和らいだかな。帰ってきてホッとしました。
出雲帝国を訪ねて
斎木雲州氏の出雲帝国の伝承を伝える本を読んで、ぜひ出雲に行きたいと思っていたら、行くことになりました。不思議!
そこで、斎木雲州氏の語るクナトの神と富氏の後を訪ねたいと思いましたが、何せこの暑さ、最小限のところしか行けませんでした。でも富神社で大根交差紋を見つけた時は嬉しかったです。でもその神社は八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)を祭る神社になっていて富氏のことは一言も述べていませんでした。出雲市は大国主のことや古事記や日本書紀の神話のみで染まっていました。富氏はどう感じているのだろう。神魂神社も神さびていました。ここでは神という字を「かも」と呼んでいるところに古代出雲の面影がありました。古代出雲では神を「かも」と読んだらしいのです。その後、西谷の古墳群を見に行きました。四隅突出型古墳を一目見たかったのです。確かにこれはバツ印だと思えました。古代出雲の生命再生の印なのだそうです。出雲そばを食べてこの日は終わり。