今日の古事記講義は川崎大師の話から始まりました。私が先月川崎大師に行った記事をご覧になってのお話でした。まず川崎大師は宝どう院の末寺の平間寺の弘法大師堂であったそうです。この宝どう院は光明寺という大きな古い(掘ると色々出るらしい)お寺の一部であったという。ですから小さな小さなお寺が、例のお話(小さな弘法大師像が流れ着いた)が生まれてこのような盛隆をみたという。何事も物語が大事。人々のイマジネーションをかきたてることが大事ですね。一方平間という地名ピラは、太陽が当たるゆるやかな斜面をいうそうで、平は日羅に通じ、羅はモンゴル系の名詞につける語とか。その後佐野厄除け大師の話になり、天明釜という鉄器が良いとか足尾銅山の田中正造の墓があるとか、彼がキリスト教徒であったとか、佐野厄除け大師行きたくなりました。庶民の信仰にいき続けているのに感動です。
水飲み百姓とは水を管理していたという意味で、結構豪農がいたとか、隼人族はインドネシアのハヤット族から来たのではなど、面白い話が矢継ぎ早でした。
その後猿女の君の話を読みました。
次は6月4日3:00~日遠理命の話からです。皆来てね!