センチメンタルジャーニー(2)

甲府に行って特に不思議に思い出したことは、甲府を出るときの思いです。母はとうとう甲府の気質に合いませんでした。その理由のひとつは気候が厳しかったのです。千葉に住んでいたので、温暖でした。甲府は盆地で冬寒く、夏暑かったのです。母は喘息を病み、糖尿病をもちました。あの頃の、日本は練炭と炭のコタツでした。姉の住んでいた市川市に移り住みたいと思っていました。父も最初は賛成していましたが、やがて山梨県に骨をうずめる覚悟が強くなったようです。気難しい人であり、理想も高かったのです。母との関係も難しくなっていきました。母は甲府を出ることはなんとなく幸せにつながるように思っていたのではないでしょうか?自由につながるような思いがあったことを思い出しました。父は障害を持つ子供の病院に仕事を変えてから変わったように思います。気難しい人だったのですが、優しい円満な人になったようです。このことは知りませんでした。甲府では、家族が一生懸命家庭を築こうとしていたことが今になってわかりました。子供の私は何も分からず、両親が仲良ければいいなと単純に思っていました。そんな子供時代でした。